教育についてのセミナーが終り、ワークショップが始まりました。
私は、ハンブルグ大会の時、連絡をしたものの参加せず、
3年後の2006年ベルファストに出席しました。
2009年スウェーデンは、父の具合が悪く、途中で帰国しました。
その後、2012年のドイツは、父がおそらになったので、
行くことができませんでした。
今回は、ワークショップのリーダーの1人をやらせていただきました。
数十年教えてきている私は、ここでは新米、ドキドキワクワクでした。
午前中のクラスは、4回ありました。
20歳代から80歳代まで、年齢層が広く、
国籍もさまざまでした。。
ブラジル人、中国人、ドイツ人、アメリカ人、そして日本人の11人。
冷房が効き過ぎ、寒い日が多かったので、
簡単な身体の動きをおこないました。
そして、ライアーの音を使った会話をしました。
笑いが漏れる中、人々の心が少しずつ解れていくのが見えます。
ドイツでのライアー大会の会長をしていらしたゲハルトさんが、
私のワークショップに参加をしてくれたので、理由を聞くと、
「だって、興味あるんだもん。何をどうやるのかな。。と思ってさぁ。」
との答えでした。
ははは。。テストみたいだなぁ。。
生徒さんの1人に、イタ・ヴェクマン クリニックで、
私がとてもお世話になった音楽療法士さんの患者さんが、
わざわざ来てくれました。
世界の狭さを感じたと共に、身の引き締まる思いでした。
最後の日に、3年後の大会には、絶対に会いましょうね、と言うと、
返事がなく、目を落としました。
胸が、張り裂けるような悲しみを感じ、私も同じ気持ちになりました。
私は黙って、彼の手を取り、「約束だけしようよ。」と言いました。
じっと私の顔を覗き込み、「イエス。」と答えましたが、
悲しい気持ちは、ずっと心に刺さったままでした。
またこのクラスは、看護師さんや幼稚園の先生、
ライアー工房のマルティン・ニースもいました。
若い中国人の純粋な心の強さに圧倒されました。
ブラジル人の深く優しい気質に感動しました。
そして気づいてみたら、私の悲しい英語の結果、
グループが、自助グループになっていました。
逆に会話も多く、仲良くなっているさまを見て、
こんなのも悪くないんだな。。なんて思いました。
音楽が生き生きしていて、ミスタッチなんてなんのその、
行きつく所まで行き、それぞれに表現したい事が見えていて、
「大変よろしい」でした。
これが、私の一番やりたい音楽です。
<ちゃんと英語で説明。。してると思います。アン、ドゥ、スリー>
最後の日に、
「次回は、自分の力で、全部英語で説明できるようにします!」
と言ったら、笑いと拍手が起こりました。
ここでウケるか~?
まあ、みんな、苦労させてしまったね~~。
本当にホンワカとした、明るい雰囲気のクラスでした。
そして、自分にとって、とても学びのあるクラスでした。
ありがとうございました。
次回は、午後のワークショップぶろぐです。