帰仏して、多忙な日々でございました。
で、今日は、やっとひと息の日。。
なのに、パリは37度ですって~~~。
体温より熱い。。
うちのワンコは、ああ。。その辺に倒れています~。
今回、佐賀県の野中元右衛門さんの150年式典の、
式が始まる前の「レクイエム」という形で、
ライアーを弾かせていただきました。
ライアーでのソロコンサートは現時点では行っていないのですが、
野中元右衛門さんの人生をお聴きし、心を強く動かされました。
一昨年より、お話は伺っていたのですが、
音のイメージの方が、なかなかできずにいました。
それでまずは、野中元右衛門さんのお墓を訪れる事にしました。
小さな丘の上に日本語のお墓がポツンと1つだけ。。
これは、泣けました。
まったく知らない方なのに、涙が止まりませんでした。
外国で、さぞや苦しくて、悲しくて、悔しくて、寂しかったんだろうな。。
具合が悪くても言葉の壁もあり、迷惑を考え、我慢したのかな。。
そう想像していくと、自身の若い頃、
一番初めてのパリ留学時の生活を思い出しました。
なんでも、自分の経験や考えを元に、共感というのはあるんだと
そんな事もぼんやり考えました。
知らない方の前では、初めてのソロライアー演奏でしたが、
NHKテレビさんも入り、神主さん、雅楽奏者の方々、とすばらしい式典でした。
担当の方やオルガニストとの出会いもありました。
野中元右衛門さんは、薬剤師だったそうです。
明治時代にあった、パリでの博覧会に参加するために
2か月間、船に揺られ、マルセイユに到着後、
今度は乗り物(馬車かな?)に揺られ、パリに到着した翌日、
ホテルで亡くなってしまいました。
ですから、博覧会には参加できなかったのです。
フランス国は、彼の無念をしのび、日本人で初めて、
ペール・ラシェーズ墓地という由緒ある場所に永眠する事になりました。
そして150年という時が経ったのです。。
今回の式典を拝見して、
今なお脈々と続く、野中家、そしてそのご友人、歴史家さんなどのみなさま。。
知らない日本人同志が、パリで出会い、パリに集まり、その偶然なこの瞬間。。
野中元右衛門さんの願いはここにあったのかな、と感じました。
みんななかよく。。助け合って。
喜びにむせび泣いている、そんな勝手な想像をしました。
野中元右衛門さんを囲むご家族の会食は、日本食。
美味しかったです。
とても気さくでカッコイイ野中家の玄孫(やしゃご)の源一郎さん、
その娘さんと子供達。
代々薬剤関係で、全員薬学部出身でした。。しゅごい。。
そして、私の新しいお友達もできました。
そして最後に、リハ風景の動画を少しだけ。。と思ったのですが、
Youtube経由でないと掲載が難しかったので。。作成。。
佐賀県の民謡「岳の新太郎さん」。。おしゃれでいい音楽です。
リュリ オペラ ”アルシオン”より 「サラバンド」一部
佐賀民謡 「岳の新太郎さん」
パッへルベル 「カノン」一部
まだ続くのですが、抜粋動画です。
野中元右衛門さんは、パリに、いや、フランスなど、
外国に出かけるすべての方に、いつも遠くから、
ニッコリ笑って見守ってくださるような、そんな気がしました。