2010年以来、ぷっつり切れてたブログ。。。
今回は、mixiに掲載していた昔の日記も、このブログの中に、
まとめていこうと思っています。
人に押されて、世の波に押されて。。
っと、周りのせいにしてはいけない。。か。。
どうしたの?続けてないの?と言われて、
自分でも、ブログの事は、ちょっと気になっていました。
この数年間は、父の介護や看護をしていました。
長いようで短かったな。。
パリと東京を何度も往復しました。
何時でも、小さな物音が聞こえると、さっと目が覚めて、
即ティッシュを手に取って、 呼吸器の手前で用意して。。
かなり早くできるようになって、鍛えられましたよ。
しかし、緩和ケアー病棟は、大学で勉強した事とは違いました。
もちろん基本は、とても役に立ちました。
そして人は、身体的機能を失ったら、
残りの機能をふるに生かそうとするものなのだと知りました。
耳も、声も、鼻も、食べる事も奪われてしまったら、残るものは、目。
一発で、看護師さんたちと会話できる、表やカードを作りました。
「痛いです。」
「吸引してください。」
「ありがとうございます。」
「トイレに行きたいです。」
こんなのを20種類くらい。。
でも、全部が全部を手伝ってはいけないんだと知りました。
もちろん、そのカードは、時には役に立ちました。
辛くても、咳き込んで苦しみもがいていても、激痛がある時でも、
震える手で、白板に、書き殴っていました。
「オキノーム」
そして
「ありがとう」
と。。
父には、それが「必要」だったんだな。
声で痛みを表現できない父は、字で訴えることが必要だった。
トイレに行く事も、用を足すことも、呼吸する事も、
自分の力の限界まで自分の力を使おうとしていた。
そして、それが「生きる」事なのだと知りました。
生き抜くためには、それが周りにとって過酷に見えようとも、
自立できる力の限界まで信じてあげる事は、
本人には、どんなに大切かという事を知りました。
私たち家族は、どこの宗教にも入っていませんが、
仏教系の緩和ケアー病棟を選びました。
でも本当は、緩和ケアーは、
別に宗教に結びつかなくても良いと思います。
生きとし生けるものが、必ず通らないといけない道に入る前に、
心が自由に開放されて、そして静かに自らを観られる時間があればいい。
自分自身が、完結できる場所があればいい。
声や耳を使った表現できない代りに、
看護師さんや私を腕に抱きしめて、手を握って、
精一杯、感謝を表現して旅立った父でした。
家族の心の痛みまでも、癒そうと努力してくださった
病院スタッフのみなさまや周りの人達に、
感謝
長い間のごぶさたでした
2013.04.01